昭和44年の桧原湖!よみがえる新日本紀行 「山と湖の5月~磐梯山麓~」
年に2~3回行く裏磐梯・桧原湖。魚多いし景色最高だし大好きな釣り場です。そんな桧原湖~裏磐梯エリアの昭和44年当時の貴重な映像がNHKでみれます。我々初老世代にはおなじみの「NHK新日本紀行」。あのテーマソングはオジサンならきっと耳に残っているはず。🎻チャーラーラー、ラーララーーー。1963年から1982年まで放映されてたそうです。あの名番組が「よみがえる新日本紀行」として放映されたりNHKオンデマンドでみれます。
その番組で昭和44年の裏磐梯をやってました。
昭和44年は1969年。オレがまだ生まれて・・・いや生まれてます。オレが生まれた翌年。オレが生まれた山形県酒田市から直線距離で135キロのまーまー近いところのお話ってこともあって親近感ありで興味深く番組みました。
驚きその1:小学校が3つもあった
もっとも驚いたのが、当時の人口の多さです。桧原湖がある北塩原村の公式資料によると昭和44年頃は4000人くらいの人が住んでたようです。
ピークが昭和30年の5468人、現在は2697人。今よりぜんぜん人が多く栄えていたんですね。番組でもやっていたけど、京ヶ森のほうにある「道の駅裏磐梯」って当時は小学校だったようです。失礼ながらもあんな場所に学校があったのが驚き。北塩原村ホームページ見ると「北山・大塩・裏磐梯小学校」っていう記載があるんで3つもあったようです。そういえば大川エリアにも学校の建物残ってますよね今も。
驚きその2:大人気の観光地だった!
番組では当時の観光地の映像が流れました。桧原湖だけでなくあそこには五色沼とかいっぱい名所があります。なにが凄いかって、当時は高速がなかったから東京から7時間かかったそうですが、それでもものすごいたくさんの観光客で賑わってました。1950年~1960年日本の高度成長期があってだいぶ豊かになってたんですね。東京のお金持ちが7時間かけてマイカーで裏磐梯まで観光しにいっていた。驚きです。
そして、衝撃だったのがこのシーン。
そう!船内外機式の観光地でよくみるモーターボートが走りまくってた!
このタイプのボート観光地行くとよく見ますよね。桧原湖・河口湖・榛名湖とかでよく走ってます。猛烈なスピードで。ずいぶん古い船だなーっては思ったけどまさか昭和44年からあったとは!50年以上前ですよ。オレの先輩。一体一艇でいくら稼ぐのか!凄い。
今でそこバス釣りボートがひしめく桧原湖だけど、観光ボートは50年以上前からの大先輩!今まで以上にリスペクトしないとですね!
この番組では桧原湖の空撮映像もありました。今でこそドローンで簡単に撮れるけど、なんせ50年前ですからね。ヘリコプターで撮ったと思われますさすがN・H・K!
熱かったであろう昭和40年代の観光地
7時間かかった裏磐梯でさえあんなに凄い観光客だったから、東京にもっと近い近隣観光地はとんでもない賑わいだったのでしょうね。今は完全にひなびた感じの観光地ばっかりだけど、当時はすごかったんでしょうね。日本が景気よくなってマイカー手にしてドライブ&観光。
オレは山形の田舎だったからピンとこないけど、首都圏生まれの同世代にひとはそれを実体験してるとおもわれます。あ、ピンとこないなりにも当時はあっちこちに「ドライブイン」ってのがありました。今はほぼ消えてますけどね。
当時のマイカー普及率はよくわからないけど、以下の一文をネットで見つけました。
1966(昭和41)年、景気が回復し「いざなぎ景 気」といわれる上昇過程に入り、三種の神器と言われた白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機に代 わり、新・三種の神器として「カー・クーラー・ カラーテレビ」が3Cとして庶民の新たな暮らし の憧れとなった。
https://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/jamagazine_pdf/201612.pdfより引用
その頃はすんごい成長しまくりのワクワクドキドキの時代だったんでしょうね!
まさか50年後にこんなことになるとはねぇ・・
ってことではやいことパンデミックが収束し、普通に観光とか行ける世の中になってほしいもんです(・ω・)ノ
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